第5回講座「イスラーム世界は何を語るか」質問への回答
桜蔭塾第5回講座の三浦徹先生から、受講者の質問へのご回答を頂きました。
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アンケートに多数の感想をご記入いただきありがとうございました。
以下に、いただいたご質問への回答を記しました。また、「イスラーム世界に関するアンケート」の解答を知りたいというご要望がありましたのでお答えいたします。
2021年9月18日 三浦 徹
【質問と回答】
Q1 政治的に頑固で譲れないようなイメージが出来てしまった理由。
A1 中東諸国のほとんどは、国民の選挙によって大統領または首相を選んでいます。2011年の中東民主化(「アラブの春」)で明らかになったように、数十年にわたって政権をにぎる例(チュニジア、エジプト、イエメン、シリア)があることが上記のようなイメージの一因でしょうか。他方、パレスチナ問題をめぐっては、パレスチナ人やアラブ諸国は、イスラエルに対して、余儀なく譲歩を繰り返しています。
Q2 地理的にも遠い日本が更に理解を深めるとしたら、現在の教育で足りない点。
A2 直接、中東やイスラーム諸国のひとびとと接して、話を聞くことが重要です。留学生や仕事で滞在する人がふえて、10万人程度に達し、国内のモスクは約100になっています。
https://www.halalmedia.jp/ja/masjid/
戦争やテロなどの事件の報道に比べて、日常生活や文化についての情報が不足しています。文学作品や美術品は、理解の手がかりとなります。ノーベル賞をとったエジプトの作家ナギーブ・マフフーズの20世紀のカイロの下町を舞台にした「カイロ3部作」や『現代アラブ小説全集』全10巻(1989)などの翻訳があり、お茶大附属図書館にも入っています。現在東京国立博物館東洋館では、「イスラーム王朝とムスリムの世界」が開催され、マレーシア国立イスラーム美術館の所蔵品200点が展示され、絵画、陶器、書物、装飾品から生活用品まで、各地域で発展したイスラーム美術を概観することができます。
(2022年2月まで)
Q3 なぜ、イスラム教はインドやインドネシアなど元々の宗教を押しのけて、広まっていくのでしょうか。日本にどんどん入り込むとは思えませんが、いかがでしょうか。
A3 東南アジア(インドネシア、マレーシア)への伝播と浸透は、13世紀末には始まっていて、ムスリムの商人との通商を目的として、国王がイスラームを受容することもありました。東南アジアやインドの場合は、土着の宗教を押しのけるというよりは、聖者崇拝など、混淆する面があります。日本のムスリムの数も増えていて、イスラーム諸国に滞在して改宗する、あるいは、日本に来住したムスリムと出会い、結婚して改宗する、というように個々人の意志がベースになっています。
Q4 自分自身が高等学校で世界史を学んだ時は、オスマン・トルコという呼称が教科書で使われていたと思います。現在の教科書ではオスマン帝国と呼称されているようですが、何か事情があるのでしょうか。
A4 オスマン・トルコという呼称は、欧州での呼称がもとになっていました。オスマン帝国(オスマン朝)の君主(スルタン)は、トルコ系(オスマンは始祖の名前)ですが、1453年にコンスタンティノープルを征服し、領土がバルカン半島に拡大され、さらにエジプト・シリアなどのアラブ地域も征服して、多民族からなる「帝国」となります。この帝国の時代になると、住民の数(比率)でいえば、決してトルコ人が多数ではありませんし、支配階層にはバルカンやアラブなどの出身者がいます。このことから、世界史の教科書では、オスマン帝国ないしオスマン朝という用語を使っています。
Q5 シーア派、スンニ派等様々な派があるようですが、共通点、妥協点はどこに見つけることができるでしょうか。
A5 スンナ派(スンニー派)は、コーランに加えて、預言者ムハンマドの言行(ハディース)を、教義・法の規範(スンナ)とする人々で、ムスリムの9割以上がこのグループになります。シーア派は、第4代カリフのアリー(ムハンマドの娘婿)を、ムハンマドの正統な後継者(イマーム)と考え、アリーの子孫がイマームの地位を引き継ぎ、その言行録を、コーランにつぐ規範とします。実際には、両者の教義や法の違いは少ないのですが、7世紀に、アリーの子フサイン(フセイン)が、ウマイヤ朝カリフに反対して蜂起し、カルバラーで戦死した事件(680年)を悼む行事(アーシューラー)はシーア派の重要な行事であり、シーア派としての意識が高揚する場です。イランでは、16世紀のサファヴィー朝の時代にシーア派が国教に定められ、1979年のイラン革命では、シーア派のウラマー(ホメイニー)が国王の独裁に反対する運動のシンボルとなり、シーア派のウラマーが国家元首(最高指導者)となることが憲法で定められています。フセイン政権崩壊後(2003年)、イラクでは、シーア派とスンナ派の衝突がみられますが、教義の違いが対立や衝突を引き起こしているのではなく、政治・経済上の理由が、宗派対立の形をとって現れているのだというのが、イラクの政治を専門とする研究者の見解です。
Q6 今の日本のマスコミの書かれ方だと、「野蛮なイスラーム」の面が強調されているように感じます。 本来のイスラーム社会は寛容で穏やかですが、イスラーム主義は過激なのでしょうか? タリバンはイスラームなのに、何故 同胞を苦しめるのか、理解が難しいです。
A6 「イスラーム主義」というのは、イスラームを第一の原理(主義)として、政治や社会の運営を主張する思想、その思想にもとづいて行動するグループをさします。さらに、政治的主張を実現するためには、武装行動(戦闘やテロ)を取ることを辞さないグループを「ジハード(殉教、聖戦)主義者」と呼びます。イスラーム世界に限らず、歴史上さまざまな地域で、政治的目的の達成のため、あるいは対立する相手を倒すために、殺害や暴力行為を是認する主張や行動が生じました。いま現在の問題としては、インターネットを通じて、こうした行為を称揚するサイトが作られ、拡散していることです。アフガニスタンのタリバンは、1979年のソ連軍の侵攻後の内戦期に神学生によって結成されたもので(1994年)、イスラーム法による厳格な統治(治安維持)を掲げて勢力を拡大し、96年に首都を握りました。
Q7 アフガニスタンの今の状況(女性の立場)がとても気になります。お茶大に留学されていた方など、それを理由に弾圧されるようなことはないでしょうか。
A7 お茶大に限らず、この20年間で日本の大学に留学したり、JICAの研修にこられた女性の方は多数おられます。それらの方に不利益が生じないように、JICAや大学関係者が連携して対応を協議しています。なお、タリバンの報道官は、女性の教育や就労はイスラーム法の範囲内で、と述べていますが、コーランに、女性の教育や就労について、明文規定はありません(禁止の規定はありません)。イスラーム法は、コーランや預言者の言行(あるいはイマームの言行)をもとに、法学者が解釈してつくりあげていったもので、決して一義的ではなく、グレーゾーンも沢山あります。現在もっとも厳格にイスラーム法を適用しているサウジアラビアでもイランでも、女性が大学に行き(海外に留学し)、仕事をしています(教育や医療などの専門職も多い)。
Q8 イスラム教は、ユダヤ教やキリスト教とルーツが同じだそうですが、歴史的にも現在も対立しているように見えます。それはなぜでしょうか?
A8 アラブ諸国(エジプト、シリア、イラクなど)では、現在もキリスト教徒が暮らし、教会もあります。アラビア語の「アッラー」という言葉は、アル・イラーフal-ilāhという単語が縮まったもので、イラーフは「神」を意味する普通名詞、アルは定冠詞で、英語でいえばThe God、「唯一の神」を意味します。アッラーは、イスラーム特定の神の名でありません。ですので、シリアの教会で、アラビア語で「神」を呼ぶときは、アッラーと言います。歴史を振り返り、イスラーム教徒とキリスト教徒の対立が生じたのは、第一は、教皇が西欧諸国に対して聖地奪回を呼びかけた十字軍のときです。しかし、聖地奪回はいわば名目であり、実際の目的は領土でした。他方、アラブ(ムスリム)の方も、十字軍のことをキリスト教徒ではなく「フランク」とよび、単純にヨーロッパの国(人)が侵攻してきたと捉えました。第二は、19世紀後半から20世紀にかけ、ヨーロッパ諸国が中東に進出するにあたり、キリスト教徒の保護を目的に掲げました。この時期でも、エルサレムに住んでいた人の日記では、イスラーム教徒もユダヤ教徒もキリスト教徒も、相手の宗教行事のときは、互いに表敬訪問をすると書いています。
Q9 なぜ世界的にムスリムの人口が増えているのでしょうか。
A9 多数のムスリムが暮らすアジアやアフリカの諸国では、ムスリムに限らず、出生率が高いためです。
Q10 結婚観や女性が働くことについての若い方の考え方はどう変化しているのか。
A10 講義でのべたように、若い女性のあいだでは、教育をうけ、仕事をもち、結婚したい、と考え、大学進学率が上昇しています。
嶺崎寛子さんの『イスラーム復興とジェンダー―現代エジプト社会を生きる女性たち』(昭和堂、2015)は、エジプト(カイロ)での女性の電話相談やインタビュー調査をもとに、イスラームの規範について、当事者がどう考え、行動しているかを記述しています。
Q11 欧米を介さずにイスラム世界のことを伝えてくれるような情報源はありますか?
A11 日本の主要な新聞社やテレビ局は、中東の主要な国(エジプトなど)に駐在員や支局をおいています。新聞にもこうした駐在員らの記事が載っていますし、中東地域を専門とする記者もいます。また、カタールのアラビア語衛星放送局アル・アルジャジーラは、欧米メディアが取材源とするほど、著名です。英語版サイトもあります。https://www.aljazeera.com/news/
東京外語大は、中東諸国の新聞記事の日本語訳を配信しています(「日本語で読む中東メディア」大学院生が翻訳)。http://www.el.tufs.ac.jp/tufsmedia/
マンガ本にも、サウジアラビアの女性とルームシェアした日本女性の生活をつづった『サトコとナダ』(講談社、4巻)、トルコで結婚し暮らすことになった漫画家のドキュメント『トルコで私も考えた』 (高橋由佳利 集英社、7巻)といったものがあります(インターネットで購入できます)。
Q12 今後タリバン政権が異教の世界と妥協していく可能性はありますか。また,それにはどのくらいの時間を要すると思われますか。
A12 国際的に孤立したら、やっていけません。現在は,カタールと中国と協議をしています。
Q13 女性がベールをかぶるのは女性の髪を見て男性が性的に興奮してしまうの防ぐためだということです。でも、そのために女性の側が暑い思いをしてしまうのは不合理だ思うのですが、そのように思ってベールの習慣をなくしてしまおうとする運動が起きないのはなぜなのでしょうか。
A13 19世紀末から20世紀前半に、エジプトやイランやトルコで、ベール廃止の運動が行われました。ベールに対する考え方は、時代や社会の状況でかわります。詳しくは2月の講座で。
Q14 アラビア文字はなぜ、右から左に書くのか。
A14 アラビア文字の源流は、楔形文字や北西セム文字(フェニキア文字など)です。楔形文字は、左から右に書き、セム語系の文字(ヘブライ語、アラビア語など)は右から左に書きます。現在のアラビア文字は、左から右に流れる文字の形はいくつかあって、逆にはかけませんね。