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桜蔭塾 第26回講座報告

お茶の水女子大学名誉教授  桜蔭会会長
髙﨑 みどり 氏

桜蔭会の歴史を共有してみませんか ~120年の間に輝く6つの活動~

 第26回桜蔭塾では、お茶の水女子大学名誉教授、桜蔭会会長の

髙﨑みどり氏をお迎えし、「桜蔭会の歴史を共有してみませんか ~120年の間に輝く6つの活動~」と題してご講演いただきました。会場とZoomのハイブリット配信で約60名が受講しました。

 以下より、講演内で言及された「6つの活動」を紹介します。

髙﨑先生写真(トリミング).jpg

1.桜蔭会会報発行―会報記事あれこれ  桜蔭会創立(明治37)年に先立ち、明治36(1903)年に創刊号が発行。扱う内容や紙面のサイズ、発行頻度などは、時代に応じて様々。変わらないことは、会員の活躍や母校への期待が綴られていること。

2.茗渓会からの独立  明治18(1885)年、東京女子師範学校が、東京師範学校の女子部となったことを契機に、女子部の卒業生は、茗渓会の会員になることになった。その後、明治23(1890)年、東京師範学校から独立した後も、卒業生の茗渓会への入会は続いたが、明治36(1903)年の総会において茗渓会からの独立が承認。

3.“桜蔭会館”建設  大正3(1914)年、湯島の母校構内に新築。純日本式入側造りの2階建てで茶室や洋室も設けられていた。2代目は洋式2階建てで昭和7(1932)年に落成。ただし、昭和20(1945)年の戦禍で焼失した。3代目は昭和28(1953)年に落成。一時凌ぎの割り切った建物だった。そして、昭和36(1961)年に4代目の桜蔭会館が落成。落成当時の会報に「われらの桜蔭会館成る」と完成の喜びが感じられる見出しがみられる。令和元(2019)年に同窓会コモンズへ移転。

4.大学昇格運動経緯と挫折  東京女子高等師範学校は、実は専門学校であったため、勉学や研究を深めるためには、大学に進学する必要があった。そこで、大正12(1923)年頃から桜蔭会が中心となり、女高師の大学昇格運動に取り組んだ。ただ、近隣の学校と比して大学昇格は遅く、大学昇格は、昭和24(1949)年まで待つことになった。ところが、大学には昇格したものの、桜蔭会が望んでいた理想の大学とは程遠く、予算措置も十分でなく大学院もない。そのため、まもなくして大学院設置運動が起こる。

5.震災・戦争と桜蔭会―桜蔭女学校・桜蔭女子工学院設立経緯  桜蔭会の会員は、全国各地で学校を設置している。そのうちの一つである桜蔭女学校(現在の桜蔭学園)を紹介。当時の会報には「焦土の上に建設したという悲哀よりも、溌溂たる生々の意気に、涙ぐましいまでの愉悦を感じた」との記載がある。関東大震災からわずか8か月後に仮校舎が建てられ、始業式が行われたのである。  桜蔭女子工学院は、女子のための工業教育を施すことを目的として設置。構想は昭和14年からで、その運営には、桜蔭会メンバーはもちろんのこと、当時の日本の学術を先導する人々や、政財官界・大学関係者も関わった。正式な開校は、昭和20(1945)年であるが、正式開校に至るまで、特殊学校として高レベルの教育を施した。しかし、開校してまもなく、戦禍により校舎が消失。復興を目指すものの、昭和21(1946)年3月、第1回 桜蔭女子工学院卒業生を送り出し休校。桜蔭会総会で激論の末、廃校となった。

6.大学院設置運動経緯と達成―博士号取得の記録  母校に大学院が設置される以前は、博士号を取得するためには、他大学に進学するしか方法がなかった。そこで、桜蔭会は、昭和29(1954)年、母校からの協力依頼を受け、総会にて設置準備のための活動をすることを決議。以後、毎年「大学院設置促進」要望書を大学側に提出した。母校と共に大学院設置に向け奔走した結果、昭和38(1963)年から昭和41(1966)年にかけて、3つの研究科が設置されることになった。そして、今度は、博士課程の設置に向け、桜蔭会も協力を申し出る。昭和50(1975)年、母校創立100周年の年に、大学院博士課程設置が認可。翌年に人間文化研究科(博士課程)が設置されることになった。

​​​「6.大学院設置運動経緯と達成―博士号取得の記録」は、時間の関係で十分触れていただくことはかないませんでしたが、いつの時代も、桜蔭会の会員は常に前向きで、未来志向であったことがうかがえます。そして、今回のご講演を受け、母校の教育環境の充実には、諸先輩方が大きな力を発揮したことを実感しました。それなら、今、同窓会員の我々は、後輩たちに何ができるのだろうか―そんなことも考えさせられました。
 多くの史料や参考資料を参照され、今回のご講演に臨んでいただいた髙﨑会長。会長曰く、今回のご講演は桜蔭会会長としての「卒業研究」だったようです。ご講演終了後には、大きな拍手が送られ、「卒業研究」の続きを期待する声があがりました。
 思い返せば、この「桜蔭塾」の開講にご尽力くださったのも髙﨑会長でした。学びと交流の場となる「桜蔭塾」。これからも大切に守り発展させていくことを誓って……。
 髙﨑会長、ありがとうございました。

★受講者からの感想★

・明治~昭和の桜蔭会先輩方のご活躍、知らないことばかりで、どれも興味深く拝聴しました。特に、昔の古い寫眞の数々にリアリティを感じ、印象深かったです。

・師範学校から大学になる際の、先輩方のご苦労がよく分かりました。

・戦前から、大学にしたいという思いを同窓会の皆様が強く持たれていたこと。女性も対等な立場で一人の真理を探究する学徒として学び研究することが保証される場としての大学を目指されていたことに感銘を受けました。

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・新制大学、大学院、新学部と次々と先へ進むべきことを考えてきた先輩たちの先見の明。関東大震災の後あっという間に桜蔭学園を作り、その他にもいろいろな先輩が全国に学びの舎を作っていったこと。ステンレスの流し台が卒業生の発案、努力で普及したこと。
 

・いつの時代も、母校の先輩達は時代を切り拓く先駆者でいらしたことに、改めて感銘を受けました。

​・桜蔭会の歴史は、女子教育の歴史そのものであり、貴重だと思いました。私は家政学部卒で、家庭科教員になりましたので、技芸科のことなど、興味深くお聞きしました。

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・桜蔭女子工学院…製図の技術者が必要で工学系の専門学校があったということを初めて知りました。ぜひ、詳しいお話をお伺いしたいです。

・お茶大の歴史と桜蔭会の歴史において、たくさんの先輩方がご苦労なさったということがよくわかりました。お茶大の卒業生であることに今まで以上に誇りを感じています。

 

・テーマごとに流れを追ってのお話しはわかりやすくて、次々と繰り広げられる場面展開に、次は何?と、興味津々でした。貴重な写真やデータを見せていただき、目も心も満足です。ありがとうございました。

・桜蔭会報などを丹念に調べられて、大変な労力だったと思いますが、分かりやすく説明して下さって有難うございます。先輩の皆様のご努力で、今の桜蔭会があることを、しっかり自覚し感謝して、支部活動などに参加していきたいと思います。

 

・150年の歴史を90分で語ることは困難なので、飛ばされた部分がもったいない気がします。続編、続々編も企画していただけると幸いです。

・また、お聞きしたいと思った。現役の学生にもっと入ってほしいと思う。

​・期待以上の内容で、先約をキャンセルして受講して良かった!と思いました。分かりやすく纏めてご講演いただいた髙﨑先生に深く感謝申しあげます。メモを取る余裕もなかったので、簡単でもよいので 講義のレジュメ・配布資料があれば~と感じました。

・世界を見渡してもそうですが、足元の日本でもまだまだジェンダーギャップが存在していることを改めて認識すると共に、先達のしぶとく時には(ずる)賢くたゆまず進めてきた人間としての真理の追求とそれを可能にする場作りのバトンを受けて微力ながらも頑張ろうと思いました。背筋が伸びるようなお話をありがとうございました。次回も楽しみにしております。​

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